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出産体験記 |
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『川越子育てネットワーク通信』の好評連載・みんなの出産体験記をバックナンバーとして集めました。
vol.12
私にとって長女の病院での出産は自分がまるで「まな板の鯉」になったような感覚で、安産であったけれどもなんとなく不満足で、
周りの助産院での出産話を聞き、私も自分主導のお産がしたい!と思っていた矢先の妊娠。今回は助産院で出産しよう!と決めていた。
問題は里帰り出産か?川越出産か?里帰り出産だと、実家近くに助産院がない、パパの希望の立会いができない。川越で出産だと両方の実家
の親は来られない、入院中長女を預けるところがない。自然なお産を希望しながら、本当に私が助産院で出産できるのかという不安もあり、
迷いに迷い続けて気づいた時には37週!
ある助産師さんの「何とかなるわよ。私は前日まで働いて、次の日に出産し、その次の日には上の子を保育園に送って行ったわよ。」の言葉に
勇気付けられ、紹介してもらった助産院での出産を決意した。それからは、「どうかパパの休みの週末に産まれてきてね。」とお腹の赤ちゃんに
何百回と話しかけた。
予定日より数日早い土曜日の朝、おしるしが・・・まさか!?長女の時もおしるしから始まり陣痛になったけれども、そんなに世の中願い通り
になるものだろうか?きっと期待外れに違いない。と思いながら買い物へ出かけた。何の兆候もないまま夜を迎えたのでやっぱり朝のおしるし
は期待外れなんだ・・と半ばショックを受け就寝しようとしたらなんとなく生理痛のような感じが・・
それからすぐに規則的な痛みとなったので、これは陣痛だ。やっぱりこの世に神様はいるかも!?それからどんどん陣痛は強まり、間隔も短くなり、
朝もうここまできたら生まれるはず・・と助産院に行くと「大分下がってきてるのでこのまま出産ね。」と言われベットに横になる。規則的に襲って
くる陣痛と戦いながら陣痛と陣痛との合間には会話するほど和やかな雰囲気があった。
「頭が見えて来たわよ。」と先生が言うと、それまで静かに私の手を握り、応援してくれていた長女が「お腹すいた、パパ、パン食べよう!」。皆で大笑い。
その笑い声を聞いてか、直後にスルスルと産まれて来た。すぐにお腹の上に乗せられたのは生暖かい、体脂がいっぱいついたベタベタの赤ちゃん。
見えているのか、聞こえてるのかも分からない状態ですぐにおっぱいを吸ったのには本能を感じた。産後母子ともに体調良好でその日のうちに帰宅できた。
外出出来るようになるまでは大変だったけれども、それに耐えた長女、家事を頑張ったパパ、結婚して未知の土地、川越で出会った友達の幾度とない
訪問、勇気付けて下さった助産師さん、出産を手助けしてくださった助産師さん、皆に感謝!願い通りに産まれて来てくれた娘に大感謝!!
助産院での出産、川越での出産は正解だったような気がする。
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vol.11
出産予定日を1週間すぎても陣痛が来ない為入院。お昼前、子宮口を開くための風船を入れ、点滴による陣痛促進剤を始めました。
でも、ほとんどがその日中には産まれないということで、夫とのんびりとしていました。
話は変わりますが、私は以前医療の仕事に携わっていました。学生の頃授業で出産の際の3大騒ぐ人@学校の先生A医者B看護師というのがあって、
それがずっと頭に焼きついていて『絶対自分はなるまい』と思っていました。
夕方になり点滴は一時中断。今夜はよく寝てまた明日ということで夫にも帰ってもらいました。陣痛は時々ありましたが、病院の食事はおいしく傷み
をやり過ごし昼食・夕食・そして夜食まで完食。21時半、食べた分出したくなってトイレでいきむと風船も一緒に抜けました。
この頃から少しずつ陣痛が自然についてきました。でも、実際初めてで”本当にこれって陣痛?!”早まって3大騒ぐ人になりかねないと思い、5分
間隔になるまでは1人様子を見ていました。
日付が変わって助産師さんを呼ぶと、2〜3時間で生まれるということで夫を呼んでもらいました。陣痛はそれなりに辛かったですが、合間には赤ちゃん
もがんばっているんだと考えることもできました。
分娩台へ行き、お股にメリメリとしたそれまでに感じたことのない傷みが走り「すごく痛いよ!」と
叫ぶと赤ちゃんの頭が出てきました。そして午前2時23分、’えいっと’赤ちゃんが足で私を蹴ったかのように産まれました。
今まで現場で見た他の人の出産の様な涙することはお股の痛みによりありませんでしたが、このやり遂げた達成感と私の生きてきた中で一番の衝撃的な
出来事で、興奮は何日も続きました。
3大騒ぐ人にならず大体思い通りの出産にできたのは助産師さんのリードと夫の励ましのおかげで本当に感謝しています。
できちゃった結婚
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vol.10
両家とも初孫にあたる長男。ダンナの実家は車で2時間、私の実家は公共交通機関を乗り継いでも6時間という距離があるので、どこで
出産するかという時点ですでに大バトルでした。
『初めての出産で何があるかわからないから、実家に戻ってくるのが当然!!』という母と、すでに入退院を繰り返していて『私が見られるのは
この子が最初で最後かもしれないから、私の家の近くで産んで欲しい。それがムリなら川越で』という姑。
すっかり板挟みになってしまった私は、とても妊婦を楽しめるような状態ではありませんでした。
結局ダンナの『俺たちの子どもなんだから、2人で育てられるところで産もう!』という言葉を頼りに、川越で出産することに決めました。
双方の実家が渋々ながら納得しやっと一段落、と思った矢先今度はダンナに片道2時間かかる部署へ転勤辞令が届きました。
家族会議はやり直し。いっそ引越しする話まで出はじめ、『これを機会に同居したい』という姑の夢もあきらかになったりで、話はまとまるどころか、
こんがらがっていく一方。毎日『どうしたものか』と思い悩む日々でした。
最終的に、『私が一番穏やかにいられる場所で出産したい』ということで、川越で産むことに。
予定日を1週間すぎたころ、いよいよ陣痛がはじまりました。15分間隔になったのを確認して、朝を待って入院。ところがそこからの間隔がいっこうに
狭まらず、いったん退院することになりました。
『陣痛が来たまま、家で一人待つのはイヤ』という私と、『陣痛室で何日も過ごすとストレスが強すぎるから帰って欲しい』という病院側。
結局、出産したのは最初の入院から数えて3日目の夕方のことでした。初産で4キロ超というジャンボベビーだったため、時間がかかったようでした。
こんなに時間がかかったのに、帝王切開の話も陣痛促進剤の話もしなかった病院に感謝しています。
それから、お宮参りの写真が姑の遺影になりました。
あのとき自分のことだけ考えて里帰りしなくて良かった、と思っています。
くま吉
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